NHK大河ドラマの「篤姫」ではありまんせんが、日テレで放送された「日本史サスペンス劇場」〜「篤姫」あらすじ2です。内容は最終回と思われる・・江戸城無血開城までです。NHK版とほぼ、内容は変わらないと思います。
篤姫〜日本史サスペンス劇場より。長いのでパート1、パート2と記事を分けます。
これは日テレの「日本史サスペンス劇場」放送内容を記事として書いています。
時代は幕末の動乱をむかえる。
「天誅」
京の町では、尊皇攘夷を訴える志士たちが、開国をすすめる幕府支持者を「天誅と称して次々と暗殺」
御所では、「いつまでも攘夷を行わないから!」と、話し合う。
「攘夷は帝(天皇)の意志」と、意見が対立〜岩倉具視は朝廷を追われ、蟄居した。
岩倉具視を追い出した朝廷は、幕府にふたつの命令をだす。
十四代将軍、家茂が朝廷からの命令で京の都に行く。(それだけ幕府の力がなくなっている)
このとき、家茂の警護に組織されたのが、「浪士隊(新撰組)」
三代将軍・家光以来、240年ぶりに徳川幕府の将軍が京へ上がった。
家茂と帝が対面、公武合体のため、和宮を徳川に嫁入りさせた朝廷、
その交換条件、幕府は「攘夷」鎖国を守り、外国勢を撃ち払うと約束していた。
家茂の難しい立場を案じた、天璋院・篤姫が京に送った手紙が残っている。
「早く御所をおいとまし、無事に江戸にお戻りくださいませ。多々、難しい時期と存じます。後先を考えて、何事も迂闊になさりませぬようお気をつけくださいませ」
しかし、会議で攘夷を目指す公家たちに詰め寄られた家茂は、
「攘夷の期日を五月十日とする」
これで攘夷の期日を決められてしまう。断れないし、意見もいえない家茂だったのでしょう。
しかし、家茂はこれを実行するつもりはなかった!
ところが・・この会議の結果がのちに、大問題と発展する。
京・岩倉邸
蟄居されている岩倉具視のもとへ、薩摩から来る者がいた。
岩倉は、宮廷工作をねらう薩摩と結びつきを強めた・・と、いわれている。
五月十日
家茂が実行するつもりがなかった攘夷を長州藩が下関で決行!アメリカ、フランスの商船に砲撃を開始。
「馬関戦争」が勃発、長州はアメリカ・フランス連合に降伏する。
「三百万ドル=約300億円」を幕府に要求される。
長州の攘夷行動は幕府に大きな損害を与えた。これをきっかけに攘夷派は、幕府を追われることになる。
それでも攘夷をめざす、過激な長州藩は京に潜伏。
元治元年六月(1864)
京都、池田屋に新撰組が長州藩主を襲撃した。これが新撰組を有名にした
「池田屋事件」である。
この事件で大勢の藩主を失った長州は、驚くべき行動にでる。
なんと!
力づくで、孝明天皇から「攘夷の許し」を得ようと、天皇の住む御所に兵を向けた。
そして御所を守っていた、薩摩・会津の両藩と激しい戦闘となる。
これが世に言う
「蛤御門(禁門)の変」である。
このとき、慶喜は御所の中にいた・・慶喜は見事な采配で長州藩を撃退する。そして
「長州征伐の勅命」が幕府にくだった。その総大将として家茂は、大阪城に向かうことになる。心配する和宮、篤姫、
篤姫は家茂の無事を願い、写経をする。
和宮は、篤姫に聞き「増上寺の黒本尊」徳川家の守り神に、家茂の無事を願い、お百度参りをした。
浜田城落城、大島の海軍は壊滅、最新兵器で迎え撃つ長州藩に、幕府軍は次々と敗北・・
慶応二年(1866年)七月二十日
大阪城・・家茂が突然、倒れ息を引き取る。
十四代将軍・徳川家茂 逝去。死因は家定と同じく脚気による心不全・・とされた。
和宮はまだ21才だった。
「土産に欲しいものは?」との家茂に和宮は
「西陣織を・・」と、生きて帰ることを願い頼む・・生きて戻れなかった家茂だったが、約束の西陣織は棺の上においてあった、持ち帰った家茂だった。
このとき、和宮は
「空蝉の 唐織衣なにかせむ 綾も錦も 君ありてこそ」と、どんなに美しい衣を残しても、貴方がいなければ何の意味もありません・・と、うたを残す。
同年十二月
主を失った江戸城・・悲報が届く。
帝(天皇)逝去。
公武合体の象徴である二人の死により、政局は明治へと動く。
こんなタイミングで?
二人の死で得をするのは、次の将軍、徳川慶喜?
しかし、この時代で将軍になっても「貧乏くじ」のようなもの・・
薩摩のブレーン、天皇家、将軍家、どちらにも詳しく力のある〜岩倉具視?
明治天皇の即位で恩赦をうけ宮中に返り咲いた・・これは謎!
真実は今も歴史の闇の中・・
長州征伐の前、家茂は滝山にいっていた
「私にもしものことがあれば・・家督は田安家の亀之助に継がせよ」
これが遺言と滝山はいう。
「亀之助はまだ4才、戦乱の今は、幕府をひとつにまとめることが出来る人物、強い将軍が必要でしょう。慶喜が良いと思います」と、いう。
この件で後の歴史家たちは「和宮を聡明な女性」と、評価している。
そして・・徳川慶喜が十五代将軍となる。
慶喜が、戦をするため旗本を呼ぶも、戦に恐れをなした旗本たちは、隠居、集まったのは家督を継いだ子供たちばかりだった。
慶応三年(1867年)十月十三日・二条城
十五代将軍についた慶喜、長州征伐の失敗で幕府の権威は地におちていた。そんなとき、土佐藩からこの窮地を脱する画期的な提案があった、
「それは、徳川幕府の270年の歴史に幕を降ろす」こと。
坂本龍馬が考えた、歴史的大決断だった。
「大政奉還」
朝廷に政権を返上する。今後は、諸藩の大名による議会で国を動かす!
この窮地を乗り切るにはこれしかない!と、いわれる慶喜。
土佐藩の提案、それは「船中八策」議会制政治の原案に基づくもの。坂本龍馬が作った。
「幕府はなくなっても、徳川は四百万石の大大名、新政府の中心であることに代わりはない」と、いわれる。
大政奉還は、幕府を捨て新政府での巻き返しを図ろうという、慶喜の大ばくちでもあった。
慶応三年十月十五日
慶喜は朝廷に政権を返上、270年続いた徳川幕府は幕をおろした。
しかし、この新政府案に納得しない男!
それは西郷隆盛、
「このままでは、新政府になっても徳川の力は消えない」と、薩摩が政権をとるために、慶喜を倒す!と、西郷。
「向こうから戦をしかける」ように考える。江戸では信じられない事件が次々と起こる!
わざわざ薩摩の名を名乗って
「辻斬り、強盗、火付け」などが頻発。
西郷隆盛は、あえて薩摩を名乗り、徳川を挑発する手段にでた。慶喜は
「薩摩をわざわざ名乗る?罠かもしれない」と、考える。
しかし、大奥、天璋院はしる、二の丸が・・火事が起こる。
江戸ではこの火災も薩摩の仕業!と噂する。
薩摩藩邸を襲撃する事件がおこる。
薩摩藩の暴挙が許し難く、庄内藩ほか、諸藩の兵が「薩摩藩邸を砲撃、全焼させる」
城内では「薩摩を討つ!」と、声があがる。慶喜にもおさえることができなかった。
慶喜は、二万六千の兵を率いて京を目指す。
ところが、その途中、薩摩藩の守備隊と衝突、薩摩の砲撃により、戦闘が開始!
これが「鳥羽伏見の戦い」である。
御所・・
慶喜が兵を?と、朝廷を倒すため・・!と、朝廷は薩摩連合に「徳川伐採の許しを与えた」この瞬間、徳川家は朝廷の敵となる。
慶喜は西郷の計略にはまった。
それを知り慶喜は、相手が強敵のため、大阪城の兵を置き去りにし、江戸城へ逃げ帰った。
江戸ではいろいろな噂で民は慌てる。
慶応(1868年)四年一月十二日 江戸城〜大阪を逃げ出した慶喜が江戸城へ到着、
「江戸攻めの参謀は、西郷隆盛と聞いています」と、篤姫に報告する慶喜。驚く篤姫・・
「実家の薩摩へ帰る方が良い」と。
しかし、篤姫は「私は徳川に嫁いだ身、ここをでませぬ」と。
無理に出すのなら「自害いたします」と篤姫。
和宮、官軍の総大将は「有栖川熾仁親王」だった。和宮の許嫁だったひと。
西郷の狙いは「徳川家滅亡」会議は続き、勝海舟は決死回生の作戦にでる。
江戸総攻撃は、三月十五日と決まった・・その前日、勝海舟と西郷隆盛が会談を行い、二人の英雄が江戸城の無血開城をさせた・・と伝わる。
実際はそんなきれいごとではなかった・・
江戸城無血開城には、篤姫、和宮、(慶喜と会わない!との和宮を説得、慶喜と和宮を会わせた篤姫、慶喜は
「先に戦をしかけたのは、官軍の方であることを説明」朝廷には逆らわない、幕府は和睦することをきめた。
「私は蟄居するので、ぜひ、帝に説明して江戸城を攻めるのをやめ思い留まってほしい」と話す。
嘆願書も用意する慶喜、和宮は何度も慶喜に書き直させ、自らも手紙を書き、京へ送る。
(帝へ届ける)
勝海舟は、イギリスの大使と面談、勝海舟は薩摩のバックにいるイギリスに圧力をかけ、江戸城攻撃を止めようとした。
和宮の手紙は朝廷に届く。
帝は西郷にとどまるように頼むが・・西郷は
「徳川慶喜は朝敵」であり、厳罰を望む・西郷はあくまで「徳川滅亡」に、こだわった。
山岡鉄船が勝海舟に和睦の道を探るように説得していた。
篤姫も西郷に手紙を書く。
イギリスは西郷に「徳川との和睦を強く望む」と返事する。
江戸を攻撃するなら、イギリス、フランスともに徳川に味方する!と、いわれる西郷、和睦を望む相手を攻撃するのは「国際法」に反する。
そして・・「徳川の存続はあり得る」と、朝廷からの返事があった。
江戸城の明け渡しは、四月四日
「私はここを出ません、むざむざと城を明け渡すくらいなら、自害いたします」幾島なども参加する。勝海舟がこれを説得する。
「官軍の手前、三日間だけでよいから」大奥から出てもらうようになった。
大奥を離れる日・・三日だけの明け渡し。形だけの引っ越しをするが、篤姫は自室に美術品を並べさせる。
「武力、土足で上がり込む官軍たちに見せつけるのです、ここに素晴らしい文化があったことを・・徳川家が三百年築いてきた美しい文化があったことを・・」
篤姫は荷物も持たず、大奥の誇りだけを持ち、大奥をあとにした。
ここに270年、続いた大奥という歴史を彩る女性の文化が幕を閉じた。
これは、大河ドラマではなく日テレで放送された「日本史サスペンス劇場」での「篤姫」のあらすじです。
多少、違う部分もあるかと思いますがご了承下さい。
嫁いだあと、実家に帰らず徳川に命を捧げた・・そんな印象です。
大河ドラマの篤姫、どのようにストーリーが進むのかこれで想像出来ると思います。