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「篤姫」あらすじ2

NHK大河ドラマの「篤姫」ではありまんせんが、日テレで放送された「日本史サスペンス劇場」〜「篤姫」あらすじ2です。内容は最終回と思われる・・江戸城無血開城までです。NHK版とほぼ、内容は変わらないと思います。

  

 

篤姫〜日本史サスペンス劇場より。長いのでパート1、パート2と記事を分けます。

これは日テレの「日本史サスペンス劇場」放送内容を記事として書いています。

 

時代は幕末の動乱をむかえる。

天誅

京の町では、尊皇攘夷を訴える志士たちが、開国をすすめる幕府支持者を天誅と称して次々と暗殺」

御所では、「いつまでも攘夷を行わないから!」と、話し合う。

「攘夷は帝(天皇)の意志」と、意見が対立〜岩倉具視は朝廷を追われ、蟄居した。

岩倉具視を追い出した朝廷は、幕府にふたつの命令をだす。

「朝廷と繋がりのあった一橋慶喜将軍後見職につける」

十四代将軍、家茂が朝廷からの命令で京の都に行く。(それだけ幕府の力がなくなっている)

このとき、家茂の警護に組織されたのが、「浪士隊(新撰組)」

 

文久3年(1863年)二月・京

三代将軍・家光以来、240年ぶりに徳川幕府の将軍が京へ上がった。

家茂と帝が対面、公武合体のため、和宮を徳川に嫁入りさせた朝廷、

その交換条件、幕府は「攘夷」鎖国を守り、外国勢を撃ち払うと約束していた。

 

家茂の難しい立場を案じた、天璋院篤姫が京に送った手紙が残っている。

「早く御所をおいとまし、無事に江戸にお戻りくださいませ。多々、難しい時期と存じます。後先を考えて、何事も迂闊になさりませぬようお気をつけくださいませ」

しかし、会議で攘夷を目指す公家たちに詰め寄られた家茂は、

「攘夷の期日を五月十日とする」

 

これで攘夷の期日を決められてしまう。断れないし、意見もいえない家茂だったのでしょう。

しかし、家茂はこれを実行するつもりはなかった!

ところが・・この会議の結果がのちに、大問題と発展する。

 

京・岩倉邸

蟄居されている岩倉具視のもとへ、薩摩から来る者がいた。

岩倉は、宮廷工作をねらう薩摩と結びつきを強めた・・と、いわれている。

 

五月十日

家茂が実行するつもりがなかった攘夷を長州藩が下関で決行!アメリカ、フランスの商船に砲撃を開始。

「馬関戦争」が勃発、長州はアメリカ・フランス連合に降伏する。

将軍後見職となっていた、一橋慶喜アメリカ・フランス連合に

「三百万ドル=約300億円」を幕府に要求される。

長州の攘夷行動は幕府に大きな損害を与えた。これをきっかけに攘夷派は、幕府を追われることになる。

それでも攘夷をめざす、過激な長州藩は京に潜伏。

 

元治元年六月(1864)

京都、池田屋新撰組長州藩主を襲撃した。これが新撰組を有名にした

池田屋事件である。

この事件で大勢の藩主を失った長州は、驚くべき行動にでる。

 

なんと!

力づくで、孝明天皇から「攘夷の許し」を得ようと、天皇の住む御所に兵を向けた。

そして御所を守っていた、薩摩・会津の両藩と激しい戦闘となる。

これが世に言う

「蛤御門(禁門)の変」である。

 

このとき、慶喜は御所の中にいた・・慶喜は見事な采配で長州藩を撃退する。そして

長州藩を征伐せよ」と、帝の命令をうける慶喜

「長州征伐の勅命」が幕府にくだった。その総大将として家茂は、大阪城に向かうことになる。心配する和宮篤姫

篤姫は家茂の無事を願い、写経をする。

和宮は、篤姫に聞き「増上寺の黒本尊」徳川家の守り神に、家茂の無事を願い、お百度参りをした。

 

浜田城落城、大島の海軍は壊滅、最新兵器で迎え撃つ長州藩に、幕府軍は次々と敗北・・

坂本龍馬の取りなしで、長州藩と同盟を結ぶ薩摩・

 

慶応二年(1866年)七月二十日

大阪城・・家茂が突然、倒れ息を引き取る。

十四代将軍・徳川家茂 逝去。死因は家定と同じく脚気による心不全・・とされた。

和宮はまだ21才だった。

「土産に欲しいものは?」との家茂に和宮

西陣織を・・」と、生きて帰ることを願い頼む・・生きて戻れなかった家茂だったが、約束の西陣織は棺の上においてあった、持ち帰った家茂だった。

 

このとき、和宮

「空蝉の 唐織衣なにかせむ 綾も錦も 君ありてこそ」と、どんなに美しい衣を残しても、貴方がいなければ何の意味もありません・・と、うたを残す。

 

同年十二月

主を失った江戸城・・悲報が届く。

帝(天皇)逝去。

公武合体の象徴である二人の死により、政局は明治へと動く。

 

こんなタイミングで?

噂では当時から、「孝明天皇徳川家茂・暗殺疑惑」があった。

二人の死で得をするのは、次の将軍、徳川慶喜

しかし、この時代で将軍になっても「貧乏くじ」のようなもの・・

薩摩のブレーン、天皇家、将軍家、どちらにも詳しく力のある〜岩倉具視

明治天皇の即位で恩赦をうけ宮中に返り咲いた・・これは謎!

真実は今も歴史の闇の中・・

 

長州征伐の前、家茂は滝山にいっていた

「私にもしものことがあれば・・家督は田安家の亀之助に継がせよ」

これが遺言と滝山はいう。

しかし、和宮から天璋院篤姫に驚く提案があった。

「亀之助はまだ4才、戦乱の今は、幕府をひとつにまとめることが出来る人物、強い将軍が必要でしょう。慶喜が良いと思います」と、いう。

 

亡き夫の遺言よりも、徳川のことを思い、慶喜を推薦した和宮

この件で後の歴史家たちは「和宮を聡明な女性」と、評価している。

そして・・徳川慶喜が十五代将軍となる。

慶喜が、戦をするため旗本を呼ぶも、戦に恐れをなした旗本たちは、隠居、集まったのは家督を継いだ子供たちばかりだった。

 

慶応三年(1867年)十月十三日・二条城

十五代将軍についた慶喜、長州征伐の失敗で幕府の権威は地におちていた。そんなとき、土佐藩からこの窮地を脱する画期的な提案があった、

「それは、徳川幕府の270年の歴史に幕を降ろす」こと。

坂本龍馬が考えた、歴史的大決断だった。

 

大政奉還

朝廷に政権を返上する。今後は、諸藩の大名による議会で国を動かす!

この窮地を乗り切るにはこれしかない!と、いわれる慶喜

土佐藩の提案、それは船中八策議会制政治の原案に基づくもの。坂本龍馬が作った。

「幕府はなくなっても、徳川は四百万石の大大名、新政府の中心であることに代わりはない」と、いわれる。

慶喜坂本龍馬の考えた、新政府案に同意した。

 

大政奉還は、幕府を捨て新政府での巻き返しを図ろうという、慶喜の大ばくちでもあった。

慶応三年十月十五日

慶喜は朝廷に政権を返上、270年続いた徳川幕府は幕をおろした。

しかし、この新政府案に納得しない男!

それは西郷隆盛

「このままでは、新政府になっても徳川の力は消えない」と、薩摩が政権をとるために、慶喜を倒す!と、西郷。

「向こうから戦をしかける」ように考える。江戸では信じられない事件が次々と起こる!

わざわざ薩摩の名を名乗って

「辻斬り、強盗、火付け」などが頻発。

 

西郷隆盛は、あえて薩摩を名乗り、徳川を挑発する手段にでた。慶喜

「薩摩をわざわざ名乗る?罠かもしれない」と、考える。

しかし、大奥、天璋院はしる、二の丸が・・火事が起こる。

江戸ではこの火災も薩摩の仕業!と噂する。

 

薩摩藩邸を襲撃する事件がおこる。

薩摩藩の暴挙が許し難く、庄内藩ほか、諸藩の兵が「薩摩藩邸を砲撃、全焼させる」

城内では「薩摩を討つ!」と、声があがる。慶喜にもおさえることができなかった。

慶喜は、二万六千の兵を率いて京を目指す。

 

ところが、その途中、薩摩藩の守備隊と衝突、薩摩の砲撃により、戦闘が開始!

これが鳥羽伏見の戦いである。

御所・・

慶喜が兵を?と、朝廷を倒すため・・!と、朝廷は薩摩連合に「徳川伐採の許しを与えた」この瞬間、徳川家は朝廷の敵となる。

 

慶喜は西郷の計略にはまった。

それを知り慶喜は、相手が強敵のため、大阪城の兵を置き去りにし、江戸城へ逃げ帰った。

江戸ではいろいろな噂で民は慌てる。

 

慶応(1868年)四年一月十二日 江戸城〜大阪を逃げ出した慶喜江戸城へ到着、

「江戸攻めの参謀は、西郷隆盛と聞いています」と、篤姫に報告する慶喜。驚く篤姫・・

慶喜は、篤姫を薩摩に戻し、命乞いを頼むつもりだった。

「実家の薩摩へ帰る方が良い」と。

しかし、篤姫は「私は徳川に嫁いだ身、ここをでませぬ」と。

無理に出すのなら「自害いたします」と篤姫

 

和宮、官軍の総大将は「有栖川熾仁親王だった。和宮の許嫁だったひと。

西郷の狙いは「徳川家滅亡」会議は続き、勝海舟は決死回生の作戦にでる。

江戸総攻撃は、三月十五日と決まった・・その前日、勝海舟西郷隆盛が会談を行い、二人の英雄が江戸城無血開城をさせた・・と伝わる。

実際はそんなきれいごとではなかった・・

 

江戸城無血開城には、篤姫和宮、(慶喜と会わない!との和宮を説得、慶喜和宮を会わせた篤姫慶喜

「先に戦をしかけたのは、官軍の方であることを説明」朝廷には逆らわない、幕府は和睦することをきめた。

「私は蟄居するので、ぜひ、帝に説明して江戸城を攻めるのをやめ思い留まってほしい」と話す。

 

嘆願書も用意する慶喜和宮は何度も慶喜に書き直させ、自らも手紙を書き、京へ送る。

(帝へ届ける)

勝海舟は、イギリスの大使と面談、勝海舟は薩摩のバックにいるイギリスに圧力をかけ、江戸城攻撃を止めようとした。

和宮の手紙は朝廷に届く。

 

帝は西郷にとどまるように頼むが・・西郷は

徳川慶喜は朝敵」であり、厳罰を望む・西郷はあくまで「徳川滅亡」に、こだわった。

山岡鉄船が勝海舟に和睦の道を探るように説得していた。

勝海舟は、交渉役として山岡鉄船を西郷のいる駿府へ送った。

 

篤姫も西郷に手紙を書く。

イギリスは西郷に「徳川との和睦を強く望む」と返事する。

江戸を攻撃するなら、イギリス、フランスともに徳川に味方する!と、いわれる西郷、和睦を望む相手を攻撃するのは国際法に反する。

 

そして・・「徳川の存続はあり得る」と、朝廷からの返事があった。

和宮篤姫の手紙が朝廷、西郷を動かした。

こうして西郷隆盛勝海舟の談判

江戸城無血開城が決定する。

 

その裏には、篤姫和宮の命をかけた交渉も強く影響した。

江戸城の明け渡しは、四月四日 

篤姫

「私はここを出ません、むざむざと城を明け渡すくらいなら、自害いたします」幾島なども参加する。勝海舟がこれを説得する。

 

勝海舟を気に入った篤姫

「官軍の手前、三日間だけでよいから」大奥から出てもらうようになった。

大奥を離れる日・・三日だけの明け渡し。形だけの引っ越しをするが、篤姫は自室に美術品を並べさせる。

「武力、土足で上がり込む官軍たちに見せつけるのです、ここに素晴らしい文化があったことを・・徳川家が三百年築いてきた美しい文化があったことを・・」

 

篤姫は荷物も持たず、大奥の誇りだけを持ち、大奥をあとにした。

ここに270年、続いた大奥という歴史を彩る女性の文化が幕を閉じた。

 

これは、大河ドラマではなく日テレで放送された「日本史サスペンス劇場」での「篤姫」のあらすじです。

多少、違う部分もあるかと思いますがご了承下さい。

感想としては・・篤姫和宮ともにやはり賢く強い女性ですね。

嫁いだあと、実家に帰らず徳川に命を捧げた・・そんな印象です。

大河ドラマ篤姫、どのようにストーリーが進むのかこれで想像出来ると思います。