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「篤姫」最終回あらすじと感想

終わってしまいました、最後まで泣けてきます。勝の「この世とはむなしい事、つまらぬ事など1つとしてないのだと。」に、天璋院の「それはそうじゃ・・誰もが天命」の言葉が印象的です。最後まで女性の芯の強さに感動したドラマです。己の役割を果たすこと・・自分には何なのかと自問自答中です。

50回(最終回)「一本の道」あらすじ&感想 視聴率 28.7%

 

「大奥を閉じるのが・・わたくしの役割であったと申すか。」

 

天璋院は大奥を去り、江戸城を明け渡す。そして徳川家はおよそ400万石から、70万石にされた。

第十六代当主、徳川家達駿府にお国がえとなり、家臣ら家族とともに江戸を離れる。そして静寛院も京都に帰ることになった。

 

「次々に人が去って行く・・・。」江戸に残った天璋院は、立ち退きと引っ越しを、繰り返しながら、家達の帰りを待つことになる。

天璋院は、徳川家を守り続けるため、明治という新しい時代にひとり、立ち向かう。

 

明治元年(1868)12月 元号が明治となったその年

唐橋が西洋の香水を天璋院、本寿院らに説明、みせる。

「ぱるふぁむ?」

本寿院、「大奥にいたころのように、腹存分に食べたいものじゃのぅ」と、いってたけど、それだけ節約して食べるものも豪華、珍しいものは食べる余裕がなくなったのでしょうね。

江戸城をでた天璋院は、本寿院、歌橋らとともに暮らしていた。

(日本史サスペンス版では、家茂の生母も一緒とありました)

 

勝がサケと酒を持ってきてくれる、喜ぶ本寿院。

駿府の様子を聞く天璋院、田畑を耕し、商売をするものもいて皆、精一杯生きていると知り、安堵する。

家達は、武芸、学問に打ち込む日々。

 

徳川総家は駿府70万石にお国がえとなり、新しい当主の亀之助は、”家達”と、名を改める。

元号が”明治”となり、江戸が東京となって帝が江戸城に入られた・・」自分たちが大奥に住んでいた頃が遠くなる・・と、つぶやく天璋院

 

おもてのまつりごとを勝に聞く天璋院

新政府は、日本国を一新すべく権力を一気に握ろうとしていたが、うまく運ばぬ。

その中心になるのは薩摩、それを聞き顔をしかめる天璋院

 

薩摩、鶴丸城

帯刀が忠教に、「版籍奉還」を説明、領地を一度、朝廷にかえしその後、藩主が「知藩事」として任命を受けるもの・・・と、告げる。

「領地を朝廷に差し出す?我らの立場はどうなるのじゃ?」と、忠教を説得、これに応じる薩摩。西郷、大久保らが幅をきかせている。

忠教の武士姿が古く感じました。

 

明治新政府

新しい日本に生まれ変わろうとするが・・・。

大久保、木戸孝允岩倉具視は話し合う。新政府から西郷が離れ、大久保らの急激な改革が多難を極める。

 

西郷が薩摩に帰っていると知り、驚く天璋院。これで大久保も苦労していると知る。

薩摩に戻った西郷の理由を知りたい様子の天璋院、これもしや、斉彬の文を読んだ西郷が、初心に気がついたからではないのかなぁ。

大久保と意見が食い違う西郷。

帯刀の病気を知る天璋院、大阪の医学校で入院中の帯刀。帯刀がいないから、よけいに西郷、大久保との関係はうまくいかなかったのでしょうね。

 

帯刀、西洋の医学に頼るが・・・。

「やらねばならないことが、まだまだあるのです。」と、早く元気になりたい帯刀。

お琴がそばで看病している、安千代もいる。

 

天璋院に客がくる・・・懐かしきお幸と兄。

「おかつで良いのです。わたくしは・・母上の娘のおかつのままでございます。」

遠いのに会いにきてくれた母と兄だったのですね。ここは感動の再会・・。

しのも一緒、父を想いだす天璋院だぁ・・・・(/Д`)・゜・。

 

「徳川総家が今、あるのはあなたが力を尽くした・・・と、聞きました。」と、いわれる天璋院

「わたくしは母上に教わりました。己の役割を果たすこと・・一方聞いて沙汰しないこと。そして、考えても答えが出なければ、感じるままにせよ、と、いうことを。その教えを守って来たからこそ、良き道が開けたのだと思っています。」

「そんなあなたの母であることを、わたくしは誇りに思います。」

やはりこの母の教えがあってこそ、この天璋院だったのでしょうね。

のちにお幸は、薩摩にて安らかにその人生を閉じた。享年 60歳。

 

明治3年(1870)7月

勝、お幸は天璋院に薩摩に戻って欲しかったのでは?に、

「それをいわぬのが、薩摩おごしょの誇りなのじゃ・・。」と、天璋院はわかっていたのですね。

 

新政府は困難・・人望あつく力のある者、人物を・・それは西郷?と、大久保。

 

帯刀は病床の中、手紙を書く。

西郷、大久保に伝えたいことを書く帯刀。新政府のためにやり残したことが沢山ある帯刀なのでしょう。症状悪化、お近に手紙を書くお琴。

 

天璋院、帯刀の病気回復を祈る。

 

帯刀の入院している病院にお近がくる・・・。お琴はずっと、お近に様子を知らせていた様子。しばらく2人で看病すると、お近。

さすがです!妻と愛人の2人で看病するとは。あやまる帯刀・・・。

 

帯刀の容態が悪化、お近に遺言を

「安千代を小松家の当主としたい・・。お前の手で薩摩の地で・・育てて欲しいのだ。

お琴も納得してくれている。」

「わかりました。わたくしがしっかりと、育てあげてみせます。」

「お前には感謝するばかりだ・・・。」

「そのような・・夫婦ではありませんか。」

「楽しい人生を送ることができた。さまざまな人に会い、さまざまな事を成し遂げられた。素晴らしい日々だった・・・。」

「お別れのようなことを、おっしゃらないでください。」

「別れなのだ・・・。あとを頼むぞ。お近・・・。」

帯刀、最後の力を振り絞りお近に言葉を残してくれました(涙)

小松帯刀 享年36歳。

 

大久保が天璋院を訪ねる。

帯刀の死を知らせにきた大久保、驚く天璋院なのでした。

尚五郎を想いだす篤姫・・・

「人はいなくなるのではなく、また、会う時の楽しみのために・・ひととき、離れ離れになるだけのことです。」

尚五郎の死を悲しむおかつ。

 

鹿児島

西郷は帯刀の手紙を読んでいる・・・。そこへ大久保が帯刀の手紙を持ってやってくる。

このとき、帯刀の意思を継ぐ!と、思った2人でしょう。

 

明治4年

東京戻って来た西郷、中央政界に復帰する。藩をなくし府や県をおく「廃藩置県」という荒療治を西郷、大久保は手を組み実現へと導いた。

 

明治4年1871)9月

家達は「廃藩置県」により静岡の「知藩事」〜東京に戻る。

喜び迎える天璋院、「母ではなく・・おばあさんでした」って^^;

本寿院、徳川は駿河の国も失った・・と、嘆く。家達、家族と暮らせる喜びをいう天璋院

 

天璋院は家達に武士としてだけでなく、新しい時代にふさわしい教育を施す。

勝から、新政府は市民平等を考え、職業選択、土地売買の自由なども取り入れる・・と、聞く。西郷が苦労している・・と、知る天璋院

大久保らは、このときすでに海外にも行ってたんですね。

 

その2年後、明治6年(1873)10月

西郷が天璋院に最後の別れを告げにくる。

薩摩に帰る西郷、自分には向かない・・西郷がいると大久保が自由にできない。西郷は古い考えだったのかな。大久保と意見が分かれると西郷。

ここに帯刀がいれば・・と、西郷なのです。

聞く天璋院も辛いでしょう。

 

天璋院さまのご恩は生涯、忘れもはん。江戸攻めを思い留まらせてくれたのは、天璋院さまでございました。今でも、おいの主君は斉彬さま、お一人でごわす。」

それを聞き、父も喜ぶでしょう・・・と、天璋院

この時の天璋院の衣装、史実のものとそっくりでした。

 

去る人あれば再びあう人も・・静寛院が京都から、東京に戻り再会する。

家達の教育を任せてしまい、申し訳ない・・・と、謝る静寛院。でも、天璋院は家達の成長をみるのが楽しみでもあった。

イギリス留学のため、英語を勉強している家達。

 

勝に連れられ芝居見物に出かける天璋院、静寛院たち。

天璋院の歩き方、素晴らしくうまいですね。

ご飯をよそうシーン、お互いにやりたがり勝が、しゃもじを用意させるのは、日本史サスペンス版と同じです。これは史実なのかもしれません。

 

家茂との想い出を語る静寛院

「わたくしは母上さまと、家茂さんの仲睦まじさに焼きもちを焼いておりました。」

いつもお互いを思いやる2人に焼きもちを焼いていた・・と、正直に話す静寛院。

 

「わたくしにとって家茂さまは、家定さまを失った悲しみから、わたくしを救いだしてくださった方なのです。」と、家茂を想いだす。

あの家茂の優しさが、天璋院を悲しみから救ってくれたんですね。

「母上さま」と、呼び親しんでくれた家茂。

再会を約束する天璋院、静寛院だったのに・・・32歳で亡くなる静寛院。

 

明治7年(1874)10月

新政府は海外に目をむける。

大久保は清国との戦を回避すべき自ら出向いていた。政府を1人で背負っているような大久保の活躍に驚く天璋院

 

徳川家

家達、近衛㤗子と婚約する。

3人で記念撮影する天璋院、写真家はコロッケ〜♪

 

そして懐かしき再会が!

滝山、重野、常磐までがやってくる、家達の婚約祝いで駆けつける。

養子を迎えた滝山、重野とは「薩摩に連れて行けずにいるな」ずっと待っていると重野はまだ、独り身。

皆で記念撮影する・・・。写真屋

「笑わせる必要ない、見ろよ。みなさんいい顔してるじゃないか。」

「今日は・・最良の日じゃ・・・。」と、天璋院

 

明治10年(1877)9月

鹿児島、西郷は新政府の方針に不満を抱く薩摩藩士たちのために挙兵、西南戦争で自害する。西郷の死により武士の時代は終わる。

 

東京、紀尾井町明治11年5月4日

大久保が政策に不満をもつ者たちの手により殺される。

 

「もうこれ以上、大切な人を見送りたくありません。」と、天璋院は祈る。

長く生きていると、大切な人たちの死を見送ることになります。これは辛い。

 

薩摩のお近から天璋院に手紙が届く。

安千代の名を「清直」と、改めた子と穏やかな日を送っていた。

西郷、大久保らの死を悲しみ、帯刀が残してくれた香木を送ってくれた。この香木はかつて、帯刀がお守りとして持っていたもの。

香木は数百年たっても香りは失わない・・どんな香りなのでしょう。

お近の心を感じた天璋院でしょうね。

 

「人の志もこれに似て、長い時を経ていつか、思いがけぬ人へと伝わるのでございましょう。」

お近は、これから息子に多くの人たちの志を伝えると手紙にあった。

「たとえ人は亡くなろうとも、その志は消えはしないと思うのです。」

 

そして5年の時が流れる・・・。

縫い物をしている天璋院のところへ勝がやってくる。

家達、㤗子が子を宿し、

「おめでとうございます。それにしても・・お若いおばあさまにござりますな。」

「おばあさんではない。ひいおばあさんじゃ。」

「若すぎるひいばあさまですな。」と、勝。

このシーン、好きです!天璋院の「ひいおばあさんじゃ。」と、振り向く顔が可愛い。

 

徳川の家族が、続いていくことを勝に言われる天璋院

「それが何より、嬉しいことじゃ。わたくしは・・亡き家定さまのお心を、子々孫々に伝えることこそ、我が道と思いさだめ・・今日まで歩んでまいった。そして人の幸せとは・・・地位や名誉、まして財産などではなく・・・気のおけぬ友や、家族とともに過ごす、穏やかな日々の中にこそあるのだと思うておる。」

涙をこらえる勝・・・。

 

天璋院と話していると、生きることに勇気がでる・・と、勝。

「この世とはむなしい事、つまらぬ事など1つとしてないのだと・・。」

「それはそうじゃ・・誰もが天命、果たすべき何かを持って、この世に生まれてくるのだからなぁ。」

「果たすべき何か・・」

「そうじゃ、天命じゃ。」

 

そして・・・。

夜、1人縫い物をする天璋院

ふと、針の手を休めなにか想いだすように静かに微笑み・・穏やかに息を引き取る・・・。

感想

天璋院さまがその天命を全うし、この世を去られたのは明治16年(1883)11月20日のこと。享年49歳。

己の信じた一本道をひたすら歩み続けた1人の女性、篤姫さまの物語はここに幕を閉じます。そしてその魂が向かった先は・・薩摩だと思いました。

 

感想

感無量・・というか、脱力感もいっぱいです。

初めて大河ドラマにここまでハマり、真剣に最後まで見れて最高に楽しかったです。

篤姫を通して色々なことを学んだような気がします。毎回、涙を流しつつ、夢中で見てました。終わってしまいさびしい。

 

天璋院さまの最期のあの穏やかな顔、いい演出、演技だと思います。

オープニングにも変化をつけたところも良かったです。スタッフの愛を感じます。最終回、さすがに進み方が早かったけれど、満足です。

 

まだ1回しか見ていないので・・改めて感想を書くと思います。もう一度見返すと、言葉の中の意味も理解できるし、違う角度からも見れると思います。オープニングの一本道が輝くのもステキでした。

父の「なんというか・・愉快であった。」も改めて聞くと感慨深いです。

 

最後まで徳川の誇りを守り続けた女性、天璋院の生き様に心底感動しました。

オープニングの役者さんたちの名前、速い流れだったけれど全員、回想シーンも含めてあったのでそれだけのスタッフさんの愛情を感じます。

 

唐橋が放った文鳥、あれも家族が増えたのを放したのですね。宮崎あおいさん、本当に細やかな演技も上手です。

天真爛漫な姿から着物の裾を直す仕草、立ち振る舞いなども含め、天璋院としてこの回は、声のトーンを落とし、動きもゆるりとして年を感じさせてくれました。

 

自分にも「天命はあるのかな?」と、真剣に考えてしまうほど。帯刀の短くも濃い人生、再会した母、お幸との会話も感涙!

あとは総集編を心待ちにして録画保存します。最後まで読んでくれた方、本当にどうもありがとうございました。いいドラマに出会えてよかったです。


 


 

 

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